夢だけじゃ 夢だけが

恋することが世界の平和♡

7月に読んだ本

 7月は一冊も本が読めないかも、と憂いていたけどなんとか読み終えられた。

映画でも音楽でも本でも「数」は重要ではないけど、読みたい本がある以上いっぱい読みたいと思うのも事実なわけで。

◾️『フィフティピープル』著:チョン・セラン

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 数年前に祖父母が亡くなるまで、よく市内の大きな病院に付き添いで一緒に行っていた。大きな病院はいつも人で溢れかえっていて、予約をしていても1、2時間順番が来ないことなどザラだった。それでも、付き添いでいく病院のロビーはそこまで嫌いにならなかった。

 大きな大学病院を中心に交差する51人(タイトルは50人だけど)の群像劇。年齢も性別も職種も違う51人がそれぞれの生活を送っている。

出てくる人たちは、本当にどこかで実際に存在しているような人々ばかりで、訳者が「人生の同僚」を見つけることが出来ると言うのも頷ける。例え出てくる人たちが気に入らなくても、全くの他人が淡々と生活を送っているという事実は自分の心にゆとりと冷静さを与えてくれる。

 正直フィクションとはいえ、読んでいて辛くなるような登場人物の話もあって。でもそれは、あとがきで実際に韓国で起こった事件や問題をベースにしている部分もあると知って、社会を反映していくチョン・セランという作家がますます好きになった。社会に誠実な人は素敵だと思う。

 ソ・ヒョンジェの章でソ先生が語った話がとても良かった。色んな事がめちゃくちゃでぬかるみの中にいるみたいで努力しても挫折して後退していくみたいな現実が辛い。

でも、ソ先生は「石を遠くに投げる事」だと考えてみてと言う。みんな同じ場所から石を投げてるわけじゃない、前の世代の人たちが投げた石を拾ってまた自分はそこから投げる。次の世代の人たちのためにリレーをするように、と。そう思うと幾分か、気持ちが楽になる。

こんなに辛くて苦しいのにどれだけ伝えても伝わらない事に絶望をしていて、だけど「今」は伝わらなくても次の世代、次の人たちには伝わるといい。

ちなみに自分がいいなって思った人たちは、フェミニストで気が強くてDV被害者を支援する施設を運営するイ・ソラ、友達の中絶手術に付き添うイ・スギョン、友達にカミングアウトしたチ・ヨンジ(とその友達たち)。他人に親切で優しい人たちに創作の中で出会えるとハッピーな気持ちになる。

それと、福祉に携わる身としてはイム・チャンボクの話も良かった。認知症の症状が出ているお母さんを老人ホームにいれたチャンボクと妻の会話。妻が言った「福祉って大事よね。」という一言。長らく新自由主義者として生きてきたチャンボクも福祉の恩恵に与ってきた事に気付く。本当に福祉って大事。

本を読んでいて、なぜ自分は祖父母の付き添いで行く大病院のロビーがそれほど嫌ではなかったのかを考えていた。きっと、こんな片田舎で人がたくさん集まる場所がなんてなくて、一層際立ってしまう個が大病院のロビーでは埋もれるからだと思った。それと世の中には色んな人がいる、当たり前のことだけど田舎に住んでいるとついつい忘れてしまう。それを、大病院のロビーという場所は思い出させてくれる事が何より楽しかったのかもしれない。

6月に読んだ本

 生まれてこの方、今まで漫画や本は(ほぼ)全て紙の媒体で読んできた。デジタル化の時代となって久しいが、デジタルでは手に入らないものこそ、手に入れるための代償と価値が高くなった。と、無駄に仰々しく語っているが、Kindleタブレットを買いました。

ページを捲る感触、紙の独特な匂いなど、紙で読む意義を紙の本に見出してきた。

だけど、ついに自分のこだわりは負けてしまった。

狭い日本の住宅では本や漫画を置く場所、適切な保管方法にはどうしても限界がある。それでも、定期的に読まなくなった漫画を捨てたり整理しながらスペースを確保してきたが、それもすぐに埋まってしまう。こうして自分は「本は紙で読んでこそ同盟」から離反する事となった。

といっても、「じゃあ今後一切、紙の本買うのはやめる!」とはいかないので(オタクはコレクションが大好き)自分の中で手元に残したい漫画家の作品は紙で買うことにした。

ちなみに、漫画はデジタルで読むことができるけど、本は紙でないと読めないタチなので紙で買う事を継続している。

(なお、7月13日現在、デジタルで買った本をKindleでスラスラ読んでいる自分がいる。買って良かったKindle Paper white)

 

◾️『まとまらない言葉を生きる』著:荒井裕樹

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 「言葉」って嘘くさいなって思う。例えば、「死ぬこと以外、かすり傷」っていうけど、そのかすり傷が沢山集まったら?かすり傷で死んじゃう人間って多分いるよ、って思っちゃう。(大森靖子ちゃんの「KEKKON」の歌詞を読んで)

これはあくまで一つの例だけど、なんていうか「綺麗にまとまった分かりやすいキャッチーな言葉」の暴力性が怖い。その言葉に当てはまれなかったら、とても辛いし孤独だから。

 この本は文学者で「被抑圧者の自己表現活動」を専門とする作者のエッセイ。「被抑圧者の自己表現活動」は、簡単にいうといじめられたり、差別されたり、不当な冷遇にいる人達が自分のことをどう表現するのかということを研究することらしい。

だから全てのエッセイに、精神病や水俣病ハンセン病、ALSなどの病気と共に生きてきた人、障害者、女性など立場は違えど被抑圧者となってきた人たちが出てくる。作者は、研究の中で多くの被抑圧者に関わってきた。

この本が伝えるのは「綺麗にまとまった分かりやすいキャッチーな言葉」では表現できない生きている重みのある言葉たちだ。

 正直、本の帯の言葉が琴線に触れたなら絶対読んでほしい。私のちっぽけな感想なんかでは表現出来ない事が沢山書かれているから。

 

第二話「励ますことを諦めない」では東日本大地震でみんなが「誰かを励ます言葉」を模索していたことに触れる。「がんばれ」でも「大丈夫」も通用しなかった災害で痛感したのは、「みんな」に通用する励ましの言葉はないということ。言葉の無力さとも言えるかもしれない。だけど、「ない言葉」を模索することを諦めてはいけない。誰にだって、「言葉で誰かを励ます」場面は不意にやってくるから。

 

それと、福祉に携わる人間として、第十二話の「生きた心地が削られる」には触れておきたい。作者が障害者活動家・花田春兆さんの私設秘書をしていた時に言われた「刻まれたおでんは、おでんじゃないよな」という言葉。

介護看護に関わる人なら、痛いほど分かる。人間は高齢になると、食べ物を飲み込む力が弱まる。歯も抜けるし、入れ歯になる人もいる。

そうした噛む力も飲み込む力も低下した人には、介護施設ではお粥を出したりおかずを全て刻んで食事を提供する。「刻まれたおでん」とは、花田さんが実際に特養で出された「おでん」のことだ。ちなみに、花田さんはこの時80歳を過ぎていたがアナゴの天ぷらをバリバリ食べてしまう人だったそう。

 

施設で働く人間としては、刻んだりミキサーにかけて柔らかくしないと食事が出来ない人がいることも理解している。安全のために細心の注意を払って食事を出していることも分かっている。

だけど、仕事で時々「ビールが飲みたい」とか「お寿司が食べたい」とか、「ご飯が不味い」と言われると一体何のための食事なんだろうと思う。

誰かの「生きた心地」を奪っていたり与えられなかったりすると、とても無力に感じる。

今はこの食事の話については、きっと色んな人がそれぞれの場所で工夫したり、出来る限り食事で「生きた心地」を感じられるように試行錯誤していると思う。

 たかが「刻まれたおでん」だけど、そこに抗わなかったら、きっとおでんに続く何かがおざなりにされていくと思う。

「生きた心地」を削られないために、抗う事を忘れないでいきたい。そして、誰かが「生きた心地」が奪われないために発した抗う言葉に耳を傾けていきたい。

5月に読んだ本

 毎月の締めくくりに書いているブログだけど、5月は特に激動でずーっとハイテンションにギアが入ったような状態だった。

車の運転をし始めて7、8年経つなか、初めて交通事故に遭った。幸い?こちらに過失もなく、お互いに怪我もなかった。相手の方も、しっかりした人だったので比較的スムーズに手続きが済んだ事も幸運だった。事故の後、検査のために初めてMRIなんかも撮りにいった。

更にその数日後には仕事で突然、人の死に目に遭う事もあった。人が亡くなる仕事をしているので、これまで数えきれないくらいのお別れを経験したけど、やっぱり突然遭遇すると心が揺らいでしまう。

そんなこんなで5月はあっという間に過ぎてしまった。

 ちなみに検査をした結果、事故とは無関係な首のヘルニアが見つかった。これが怪我の功名というものなのか。

 

◾️『旅するカラス屋』著:松原始

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 小さい頃から動物が好きだった。子どもの頃は、ディズニーなら『ライオンキング』、ジブリならば『もののけ姫』と、動物が出てくる映画を何度も繰り返しみていた。特に、犬やイルカが好きで、カラスもその中の一つだった。今になって思うと、頭の良い動物に惹かれるものがあったのだと思う。

今でもカラスの姿をみつけると、ついつい観察してしまう。たまに、運転中に車道から全然逃げないやつなんかもいる。危ない。

 『旅するカラス屋』とタイトルの通りカラスは世界中(一部地域を除く)にいるらしい。

面白いのは、カラスと言うと「黒」のイメージだけど世界には白黒の柄のあるカラスなんかもいて、「黒」がカラスのアイデンティティではない事を知った。

 作中には世界中のカラスが出てくるけど、読んでいて一番気に入ったのは知床にやってくるという「ワタリガラス」だ。

全長63センチ、翼を広げれば120センチにはなる。街中にいる「ハシブトガラス」が全長56センチ、翼開長が100センチなのでその大きさが良く分かる。

とても頭がよく、紐の解き方を覚えたり、他者に見られていると餌の隠し方を変えたりするらしい。

北欧神話にも登場しておりオーディンに付き添うフギンとムニンもワタリガラスだ。本の中でも、神話での登場の仕方がすこし紹介されており「カラスが石から人間を作った」だとか「石が丈夫過ぎたから、適度に死ぬように落ち葉から作るようにした」だの、そちらもかなり気になるお話だ。

生息域はユーラシア大陸からアメリカ大陸まで広く分布しているが、日本では北海道や秋田でしか見れないため、なかなかお目にかかれない。つくづく北海道は本州とは独立した動物の生態系をもった地域なのだと思った。

兼ねてからエゾたぬきがとても好きだったので、ますます北海道に行ってみたくなった。

そして結局、「コロナさえなければ、、、」と思うのであった。

 

◾️『エレジーは流れない』著:三浦しをん

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 「一番好きな作家は?」と聞かれたら間違いなく三浦しをん先生を挙げる。小説、エッセイと、どれをとってもズバ抜けて面白い。しかも、どの作品も人間味があって、読んでいて嫌な気持ちにならないところも好きだ。

高校生の頃に『まほろ駅前』シリーズを読んでから今作まで執筆された全ての作品を読んでいる唯一の作家だが、小説家としての「色」はそのままにきちんと進化している所も信用出来る。

 『エレジーは流れない』では、男子高校生たちの青春群像劇という分かりやすいテーマながらも、主人公には母親が2人いるという設定だ。その2人の母親同士は恋愛関係にはないが、間違いなく絆が生まれており助けあっている。

初めはお互いの利害が一致したから、かもしれないが偶然知り合った他人同士が、お互いに助け合って生きている事が物語の中で書かれていると嬉しくなる。しかも、2人の母親は旦那の浮気相手の若い女性と旦那の本妻という、今までだったら敵対する事が当たり前に書かれていたであろう関係性だ。人間は血縁やコミュニティを超えて手を取り合う事が出来る。人間の良心と優しさが、しをん先生のキャラクターには宿っていると思う。

そして、少しお節介すぎるくらい面倒見のいい商店街の人たちは、今の時代からしたら古くさく感じるかもしれない。だけど、古くさい物語にならないのは、しをん先生が今の社会を良くみて新しいモノと古き良きものを上手く繋いでいるからだと思う。

 

◾️『令和GALSの社会学』著:三原勇希 あっこゴリラ 長井優希乃

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 音楽ストリーミングサービス、Spotifyにて人気のポッドキャスト『POP LIFE』を書籍化した本作。メンヘラからフェミニズム、エンパワーメントをガチ語り、というテーマの通り社会のことから自身のことまで3人の対談形式で書かれている。

ラッパー、教員、タレントという異色の組み合わせながら、日常のモヤモヤなんかを上手く言語化していて読んでいるとスッキリした気持ちになる。

特に、PART 2「優希乃の回」"言葉ってフェイク" の章で三原さんが"「生きてるだけで尊い」って言葉は自分には全く響かないんだよね"
と言っていて、思わず本当そう!と言いたくなった。

私は頑張って仕事も出来てるし、生きている以上の「楽しいこと」をしているのに何で「生きてて偉い」になっちゃうんだろうってずっと思ってた。「私の価値って「生きている」以外にないのかなぁ、なめんじゃねえぞ!」とついつい思う事もあった。

でも、この思想って自分に向く分にはいいけど「生産性」であったり「能力主義」的な思想に直結するから、これが他者や社会に向いてしまったらとても危ういし暴力的だなぁともわかっていて。そこの矛盾とかモヤモヤはずーっと自分の中にあって。

そして、三原さんの問いかけにあっこゴリラさんが「私さー、自分自身に対して、常日ごろ生きているだけで尊いって思ってるわけじゃなくて、思うときはあるの。それは自分に自信があるからではなくて「生きていること」が尊いってことなの。私は今生きている、私の命に価値があるうんぬんではなくて、私は今生きていて死んだら終わりで生きている以上は何かができるって感覚。<中略>生きているから何かが出来る。そういう意味での、生きてるだけで尊いって感覚」と答える。なるほど、「生きてて偉い」じゃないのか、「生きているから」偉いのか、と長年のモヤモヤがスッキリした。本当にメンクリのような本だなぁと思う。言葉を扱うラッパーだけあって、あっこゴリラさんの「"言葉はフェイク"だからその言葉自体をどう受け取るかも各々のスキル」という話には頷ける。そう考えると、まだまだ自分は言葉を理解して上手く受け止めるスキルが足りないなぁと思った。

 

◾️『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた<サピエンス納豆』著:高野秀行

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 まず、自分の無知を恥じたいのだが「納豆といえば水戸」という勝手なイメージがあり日本では納豆は水戸でしか作られていないのだと思っていた。もちろん、冷静に考えれば日本国内の全ての納豆を水戸で賄ってるわけはないので、全国に工場があることは予想がつくが、水戸にしか納豆は存在しないと思っていた。何を言っているのか分からないと思うが、自分でも何で「水戸=納豆」とばかり思っていたのか。

 そんな納豆初心者の私にも優しく深く納豆ワールドを教えてくれるのが高野先生の納豆シリーズだ。(勝手に納豆シリーズと呼称する)

作中にも、みな自国の納豆が一番だと話し、他国や他の地域の納豆に対しては「あんなのは納豆ではない」と言う人々が登場し面白い。食事のメインディッシュでもなく、鮮やかな派手さもない納豆だが人は皆納豆に並々ならぬプライドを持っている。

本作はアフリカ納豆がメインという事もあり、危険な西アフリカを訪れている。

世界各国を訪れ、危険な旅もしてきた高野先生だからこそ信頼は出来るがやっぱりイスラム過激派が台頭する地域での取材は読んでいてヒヤヒヤする。

 ちなみに読んでいて驚いたのだが、アフリカにも「味の素」が進出しており旨味調味料として使われているらしい。しかも、「アジノモトを使う主婦はレイジー(怠け者)だ」言う人も登場しており、生活環境や地域が違くても同じような意見の対立って起こるんだなぁと感心した。

ちなみに、私も納豆は好きだが普通の納豆よりも挽き割り納豆が好きだし、かき混ぜれば混ぜるほど美味しいという納豆をほぼかき混ぜる事なく、ご飯にかけずにそのまま食べる食べ方が一番好きだ。なんというか、納豆に失礼な食べ方しかしない。

 

◾️『棚からつぶ貝』著:イモトアヤコ

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  他人のエッセイを読むのが好きだ。特にエッセイだけを専門に書いているだけの作家などではなく、本業は別の事をしている人が書くエッセイが好きだ。エッセイ用にこしらえたネタではなく"日常"を文字にした文章。それを読めるというのは自分では知り得なかった人生をつまみ食いしているような贅沢がある。

 バラエティーやドラマなどで活躍するイモトアヤコさんのエッセイ。芸能人のエッセイは、一般人にはなかなか体験出来ない事と、一般人と同じような事を考えている日常とが入り混じり特に面白いと思う。

特にイモトさんは海外でのロケが多い方なのでワクワクする。

南極で年越しをしたこと、南米の山を登ったこと、ミャンマーで出会った少年達のこと。どれも普通の人では出来ない体験だろう。と、思えば一人旅の思い出や大好きな安室奈美恵ちゃんへの想いなどなど、普通の女性なんだなぁと思う事も書かれている。でも、全ての文章に共通することだが、本当にイモトさんの周りにいる方が素敵な人が多いと言うことだ。女優さんから同じ芸人さん、スタッフさんにご家族のこと。イモトさん自身も周囲の人の恵まれていると書かれている。

でも、それにはきっとイモトさん自身が素敵な人だからこそ、周囲にもいい人が集まってくるんだろうなぁと思う。そして、エッセイを読んでいると、イモトさんは周りの人の良いところを探すのがとても上手だと気付く。

面白い体験や変わった出来事だけでなく、ほんわかする様な優しい文章に思いがけず癒された。 

4月に読んだ本

 3月の終わりに『モンスターハンター ライズ』を買った。カプコンの有名なハンティングアクションゲームの最新作。ちょうど、ハリウッドで実写映画化され、それがゲームを一ミリも知らない人間からすると、とても面白かった。結局、映画を見た足で、そのままゲームも買ってしまった。

初めはゲームの操作が難しくて、「私には早かったかも…」と思ったが、慣れてくるとモンスターを狩るのが楽しくて、仕事がない日は1ヵ月間ほぼやっていた。(4月29日時点のプレイ時間は60時間くらい)

ちなみに、今のところ犬科動物好きとしては、狼をモチーフにしたジンオウガがめちゃくちゃ琴線に触れた。

というわけで、ゲームばかりしていたら4月は2冊しか本が読めなかった。

うーん、本もゲームも映画もバランスよく摂取したい。

<以下、本のネタバレ有>

◼️『アニーはどこにいった』著:C.Jチューダー

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 ここ数ヶ月、『裏世界ピクニック』を読んでいたら、久しぶりに小説でめちゃくちゃ怖いホラーが読みたくなっていた。ホラー映画も見たりするけど、映像で虚構を作り上げることには限界があるし、結局文字という限られた情報から自分の脳内で映像を想像する事が「自分が一番怖いと思うこと」なのでは?と思った。

 物語の舞台はイギリスの田舎町。昔は栄えていた街だが、今は廃坑と退屈しかない土地。

主人公、ジョー・ソーンはギャンブルで出来た借金を抱えて、この田舎町に帰郷する。

本来ならば一度捨てた故郷など帰ってくるつもりはなかったが、街では残忍な事件が起きジョーの元には、気になるメールが届く。

 作者の前作『白墨人形』がどうやら面白いらしい、と聞いていたので出版されたばかりの最新作の方から読んでみた。

早速、残忍な事件現場に警察が踏み込んでくるプロローグがめちゃくちゃ面白い。たった5ページ程度の文章に緊張感と嫌な雰囲気が漂う。これは、怖くて面白いホラーミステリーが読めると思った。

たしかに、田舎町の閉鎖的な雰囲気と人間関係の中で、主人公に降りかかる怪奇的な出来事は怖い。そこに主人公の過去の事件も描かれるので、ホラーとミステリーの量は申し分ないのだけど...。なんだか、ボタンが掛け違ったように「そうじゃないんだよぁ」と言いたくなるような流れが続く。

たしかにプロローグの文章は凄く怖かったはずなのに、実際に主人公に襲いかかるホラー現象が、トイレから虫がめちゃくちゃ湧き出てくる、とか「たしかに嫌だし怖いけど...」と言いたくなる微妙さ。

そのあとも、異様に虫がフィーチャーされたホラー現象が続くので、「きっと虫が何かの伏線なのかも」と思うが、一切物語には関係ないという。

 これで、ミステリー部分がめちゃくちゃ面白いとかなら楽しめるけど、「え、その程度なの」という特段驚くような展開もないので拍子抜けするくらいである。

あえて言うなら、たまに出てくる主人公の友人というフワッとした立場の人間が主人公が借金をしている貸金業者の親玉だったという展開くらいか?しかし、それもあまり物語に関係はない。

 でも、なかなか憎めないのは、作者がスティーブン・キングの大ファンということでキング作品への豊富なオマージュが散りばめられていて、ホラーやサスペンスが好きなのだと感じられるところ。翻訳も読みやすく、基本的にすらすら読めるので「ここまで読んだし最後まで読んじゃおうか」となれる。まぁ、そのおかげか、370ページというまぁまぁな厚さを読むことになってしまったが。

 そんなわけで、4月に入って最初に読んだ本が微妙な結果になってしまったのもあり、読書欲が少し失せてしまった。

 

◼️『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』

著:花田菜々子

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 というわけで、失せた読書欲のまま難解な本を読んでも、もっと嫌になるだけだろうと思い比較的エンタメ感のある本を次にチョイスした。

ストーリーはタイトルそのものズバリ、出会い系に登録してマッチングした相手に本を勧めるというもの。

マッチングアプリというと恋愛関係を築くためのサイト、というイメージだが作中で出てくるサイトは恋愛のみに限定されていないらしく本を勧めるという活動がしやすいらしい。

出会った人たちに本を勧めるという活動も面白いのだけど、マッチングする人たちの個性の豊かさにどこか癒される。また、作者はその個性的な人たちに、絶妙に上手くマッチした本を勧める。

そのうちに、多くの人と出会うことにより違うコミュニティに参加し、そこで新しい出会いがありと数珠繋ぎのように他人と新しい関係を築いていく。

 また、作者はヴィレッジヴァンガードで働いていた経歴もあり、実際に出てくるヴィレヴァンの話も面白い。

サブカルに特化したお店だったのが、近年大型ショッピングモール用に有名なキャラクターグッズをお店に並べなければ売り上げが伸びないなどの話は少し切なかった。

 それにしても、作者の本への知識量が多いと驚かされた。ありとあらゆるジャンルの本を網羅し相手に合った本を見つけるのだから凄い。

そう思ったら、たった一冊読んだ本が自分に合わなかっただけで読書欲が落ちてしまう自分が少しバカらしくなった。もっと色々な本が読みたい、色々な人に出会いたい。次に読んだ本がこの一冊で良かった。自分の読書センスを少し褒めようと思う。

3月に読んだ本

◼️『海をあげる』著:上間陽子

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 高校の修学旅行で初めて沖縄に行った。確か2月頃の旅行だったが、空港に降り立った瞬間に襲ってきた、あの蒸し暑さを今でも覚えている。

初めて行った沖縄は、日本だけど、どこか日本じゃないみたいだった。海外にも行ったことのない高校生の自分からしたら異国のようにも感じた。

 沖縄で未成年の女の子たちの支援、調査を行い続けている著者のエッセイ集。社会と密接に関わる著者だからこそ、自身の生活と沖縄の社会との関係性が深く結びついていて誰にも書けない文章だと気付く。

最初の方に書かれている文章だけ読むと極めて私的な内容ながらも、沖縄という土地でひたむきに生きる人々の息吹を感じる。と、思っていた。

でも、この本はそのような感想がいかに無神経で残酷なものでしかないか、を最後まで読み進めると教えてくれる。

いつまでも飛び続ける大きな軍用機、埋め立てられ死んでいく海、沖縄のことなのに遠く離れた東京の人が沖縄を決めていく。

最後の文章、表題にもなっている「海をあげる」を読むと嫌でも感じる、「もう限界だ」という著者の叫び。

この本を読み終えた人に海は託された。これはもう、遠く離れた土地の話ではない。ましては異国の話などではない。

 

◼️『夢の国から目覚めても』著:宮田眞砂

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 いつからか百合というジャンルに惹かれていた。キッカケは覚えているけど、いつの間にか深くハマっていた。

百合とは女性同士の恋愛、友情などを描いたものだ。「など」という曖昧な濁し方をしているのは、百合が極めて広義的な物を指しているからだ。因みに私は「女同士が何らかの感情を通わせている状態」だと自分の中で意味付けている。

 百合同人漫画を描く有希と相方の由香。有希はレズビアンで由香に密かな恋心を抱いている。一方の由香はヘテロセクシャルで彼氏もいる。二人の関係は有希がその気持ちを隠すことにより成り立っていた。

 一昔前は「百合はファンタジー」だと言われていた。それは実在するかしないか、という意味だけでなく、その方がより百合という世界が強固になるからだと思う。

だけど、その「ファンタジー」は結局のところ、より世界を、誰かの気持ちを、孤立させただけだったのかもしれない。

この本の中で描かれる百合は圧倒的にリアルだ。有希と由香は「一体、百合は誰のためにあるのか」と思い悩む。

そして、物語を超えてその問いは読者にも問いかけられる。

 この本は「百合」という一つの創作物のジャンルを通して、ジェンダー的な部分にも訴えかけてくる。

全ての女の子の気持ちが報われること、全ての女の子が肯定されること。本来そんな当たり前であるはずのことを有希や由香を通して投げかけてくる。

事あるごとにセクシズムととれるような広告や創作物が世に生み出される。しかし、実はその裏側でおかしいと思いながらも、仕方なくクライアントの要望に応えて仕事をしている人がいるかもしれない、という描写まで登場する。徹頭徹尾、社会の喜び、悲しみ、怒り、優しさが物語の中に汲み取られている。

 

 読み終わったあと、「私にとって百合ってなんだろう?」と考えてみた。ヘテロの漫画を読むことがいつの間にか違和感になり、ラブストーリーという創作物を好まなくなっていたあの頃。初めは「百合」というジャンルの特別感を楽しんでいたのだと思う。それがいつの間にか、かつて言えなかったあの子への「好き」という気持ちと共鳴していた。あの子に言いたかった「好き」の数だけ私は「百合」に想いを馳せる。

これは、女という立場から百合を見つめ、百合という世界からその外側を見つめる女の子達の物語だ。丁度、本を読んでいた3月17日に札幌地裁で、法律上同性同士の結婚を認めない現在の法律は「合理的根拠に欠く、差別的扱いに解さざるを得ず」、「違憲」だと明言する判決が言い渡された。

どうか、百合の外側にも無限の夢が続いてる事を願うばかりだ。

◼️『あのこは貴族』著:山内マリコ

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 2021年に入って3ヶ月だが、間違いなく今年ベスト1になりうる映画を観た。それが『あのこは貴族』だ。

東京生まれの箱入り娘・華子は結婚を夢見てハンサムな弁護士「青木幸一郎」と出会う。

一方、地方出身の美紀は猛勉強のすえに慶應生となるが、金銭的な事情で中退する。そんな美紀も腐れ縁のような関係で「幸一郎」と出会っていた。全く違う境遇の二人の女性が出会い葛藤しながらも東京という街で生きていく物語。

 映画が公開される以前から、どうやらシスターフッド的な映画だという事は聞いていた。洋画ではシスターフッドを取り入れた映画が出来てきたが、邦画ではまだまだ未開拓だ。

女同士が連帯するといっても、浮気された女同士が助け合って男に仕返しをするという話ではない。出会うはずのないような女同士でも、通じ合って助けあったりしながら良い距離感でお互いの置かれた場所で生きていく。

そんな、物語や景色が映画や小説を読んだ私にはものすごい希望となった。フィクションの物語に私は孤独ではないんだと思わされた。それだけ女は分断され続けてきたのかもしれない。

そして、この感覚を忘れないために私は映画を観たり、本を読んでいるのだと思う。

 

◼️『裏世界ピクニック6 Tは寺生まれのT』

著:宮澤伊織

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 『裏世界ピクニック』シリーズの最新作。5冊も出てたのに全て読み終わってしまった。アニメが終わったタイミングで今作が出版されたが、早くも次が待ち遠しい。

初めは鳥子から空魚への一方的な「好き」という感情だったが、空魚もその気持ちに誠実に向き合い精一杯受け止める。人嫌いな空魚が鳥子と向き合う姿に自然と頑張れ、と応援したくなる。

それにしても、ホラー作品ではないしネットロアという超常現象的なモチーフを扱っているが、読んでいると背中がゾクっとするような怖さが上手いと思う。いつの間にか裏世界に魅了される人たちが分かる気がする。怖いと思いながらも、もっと知りたいと思う好奇心は人間のサガか。

今作で一つお気に入りのシーンがある。Tさんという謎の人物の痕跡を追っていこうとする空魚と鳥子に、小桜が協力する場面だ。アニメを観ていても、小桜の小さくてかわいい見た目が作品の中の一つのマスコットの様な存在だったが、この場面で小桜は大人としての責任を果たす。作品を飾る為だけのご都合的なかわいらしいキャラクター、ではなく一人の大人としての小桜の感情が垣間見える瞬間に作者のキャラクターへの誠実さが窺える。

2月に読んだ本

 去年の年末にNintendo  switchを買ってから、もっぱらゲームばかりしている。最近は、ゲームを深夜までやって、寝る前に本を読むというルーティーンが出来上がった。休日はそこに「映画館に行く」という項目が一つ増える。

 

◼️『めんどくさがりなきみのための文章教室』

著:はやみねかおる

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 たくさん読書をする人は文章が上手いと言われる。半分当たってるけど、誤解されてる部分もあると思う。だって私は文章を書くのがとっても苦手だから。

小学生の頃、読書感想文はやっぱり大嫌いだったし、いつも母親に怒られながら書いていた。

高校生の頃、読書好きだからという理由だけで、友達の友達が書いた小説の添削をしてほしいと頼まれた事もあった。

今となってはいい思い出だけど、その頃この本に出会えていたら、もう少し文章を書くことが好きになっていたかもしれない。

 児童文学の名手、はやみねかおる先生が原稿用紙の使い方から、文章の書き方まで一冊で分かりやすく解説している本書。

小説家でありながら国語の教師だった経歴もあるため、教え方が上手い。大人が読んでもタメになるし、子どもに作文を教える為に親が読んでもいいと思う。

それにしても、あとがきで先生の2人の息子さんが国語教師と大学生になったと書いてあって驚いた。私が怪盗クイーンシリーズや夢水清志郎シリーズを読んでいた頃は、小さい子どもだったはずなのに!

 

◼️『裏世界ピクニック 2 果ての浜辺のリゾートナイト』

『裏世界ピクニック 3 ヤマノケハイ』

『裏世界ピクニック 4 裏世界夜行』

著:宮澤伊織

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 1月に読んだ『裏世界ピクニック』の続き3作。いくらハマったとはいえ、シリーズものを1ヶ月で3作読み終えるというのは中学生以来かも。それだけ、この作品が読みやすくて面白いという事だ。

 昔から、本でも漫画、映画などに限らず女が怒るシーンが好きだった。高橋留美子の『犬夜叉』8巻で、死んだはずの桔梗が蘇り犬夜叉が絆されてしまうところで、かごめが「冗談じゃないわよ!」と怒りを露わにする所が子供ながらに刺さった。

だから、『裏世界ピクニック』3巻「ささやきボイスは自己責任」で冴月を追いかけ続ける鳥子に空魚が「どいつもこいつも冴月冴月って・・・<中略>あいつもう人間じゃなくなってるって!化け物だよあんなの!」とブチギレるシーンにワクワクした。

みんな死んだり居なくなったりした女ばかり追いかけ回してるけど、生きて隣にいてくれる誰かはどれだけ大きな存在なのか。

「嫉妬は醜い」というけど、こういう嫉妬は「かっこいい」と私は思う。

 それと、鳥子も空魚も現実世界で絶望を感じて裏世界に入ったからか、現実に執着がない。

4巻の「隣の部屋のパンドラ」で小桜が鋭く指摘したようにぎりぎりの局面で生死を決めるのは、生きて帰ることへの執着だ。

現実への未練が少ない二人だからこそ、裏世界に物怖じしないけどそれが弱点でもあると思っていたので、ここで小桜が釘を刺した事は凄く大きいと思う。

 

◼️『キングコング・セオリー』

著:ヴィルジニー・デパント

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 #Metoo運動をキッカケにフランスで再注目されベストセラーとなった本書。

元は2006年に出版されたものなので、15年近く前になる。

 とにかく、序章とも呼べるような1章の文章がめちゃくちゃパンクだ。

フェミニズムに関心がない人が読んでも、絶対面白いと思う。

 

「私はブスの側から書いている。ブスのために、ババアのために男みたいな女のために<中略>最初にはっきりさせておく。私はなにひとつ謝る気はない。」

 

 本屋さんで帯にも書かれているこの文章を読んだ時「私の為にある本だ」と思った。

いい大学を出ていい会社に勤めてるわけでもなく、比較的女性が多く働いていて力を持っている(と感じる)福祉業界で働いている。

地方暮らしで、好きなことをして気ままに生きている自分は誰よりも自由かもしれないと思っていた。

フェミニズムに関心はあったけど、それは他の誰かの為であって自分の為ではない、とも感じていた。

だから、この帯を読んだ時「やっと私の為に書かれた文章に出会った」と思った。

当たり前だけど、オンナにも色々いる。頭がいい女悪い女、男好きな女男嫌いな女、背の高い女背の低い女etc...「女にも色々いる」というのがフェミニズムの原動力ではないのか。

 これまでフェミニズムの本を何冊か読んだけが、みんなそれぞれが少しずつ違っているという事に気付いた。それって当たり前の事のようだけど、とても大事だと思う。

最近はフェミニストツイッターなどで特定の呼称を用いて一括りにされることが増えた。揶揄されるように使われるその呼称を見ると凄くモヤモヤする。

何かを一括りにしてレッテルをはり色眼鏡的に見ることは悲しいことではないのか。

フェミニズムが誰かの趣味でも宗教でもないのは、一つの科目として今でも研究が続いている事が何よりの証明だ。

 

◼️『PACHINKO 上下』 著:ミン・ジン・リー

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 日本で発売されてすぐに話題になっていた本作。アメリカではめちゃくちゃ売れているらしい。(オバマ元大統領も読んでいた)

 自分も単純に話題作だし、在日コリアン、未婚の女性というフェミニズム的観点から興味を持って読み始めた。

でも、そんな設定を凌駕するくらい(もちろん大事だけど)ファミリーストーリーとして面白い。

親子4世代にまで続く家族が戦中から戦後、発展する社会を生き抜く。

 令和2年9月19日付けの毎日新聞で池澤直樹さんが本作の書評を書いている。

その中で池澤さんは敢えて「外人」という言葉を使う。

自分はなるべく「外人」という言葉を使わないようにしてきた。「外国人」という言葉を使うようにしている。でも、この本を読んで一体「外の国の人」とは誰なのか、「国」とは土地と文化の事であって、人間のことではないのではないか考えるようになった。

正解はないし、自分で考えて自分で決めていくしかないのだけど。

書評の中でも触れられているが、本書には「邪悪な人はあまり出てこない」悪を振りかざすのはいつも日本の社会の方である。でも、社会の一端を担うのも、また人間なのではないだろうか。

1月に読んだ本

 コロナが流行してから自由に外出が出来なくなり読書量が増えた。具体的にいうと、2019年は年間20冊程度の読書量だったのが、去年は43冊読んでいる。今年も「本を読みたい欲」が続いているので、せっかくならばツイッターや日記に書いている読書記録を一つにまとめておこうと思う。

ちなみに、2020年の個人的年間ベスト10冊。

(順不同)

10冊に明確な順位はないものの、一番心に残ったのは『ザリガニの鳴くところ』だと思う。

人生で読んだ本の中でも特別になる一冊だった。読み終わった後、感想を残す気力もなくなるくらい圧倒的で悲しくて美しい物語だった。

物語の真実は主人公・カイアと読み終わった私だけの秘密にしていたい。

ただただ、誰かを殺したいくらい憎んでいる人に許しの心を求める事は、誰に出来ようか。

その他にも話題になった『三体シリーズ』や『掃除婦のための手引書』からフェミニズムについての本まで自分の興味があるジャンルの本を満遍なく読めたと思う。

 

■1月に入って読んだ本

『ババヤガの夜』王谷晶f:id:ri_samon:20210130231520j:plain

 女二人、暴力、血、犬などどこをとっても自分の好きな要素ばかりだった。

ヤクザのお嬢様の運転手に無理矢理、採用された主人公・依子とお嬢様・尚子の物語。

近年、映画でも本でもシスターフットに関する物語が増えているが、この物語もそこに入ると思う。恋愛関係でなくても、お互いいがみ合っていても、ピンチの時は助けるし協力する。その関係が恋人家族友達と名前をつけられるものでなくても誰かと人生を共に出来る。

昨年読んだ『ピエタとトランジ』でも女の子二人が歳をとっておばあちゃんになるまで描かれていたが、『ババヤガの夜』でも二人がおばあちゃんになっている所で物語が終わる。タイトルの「ババヤガ」は老婆の妖怪だ。女の人生が10代20代で終わるわけではない事がエンタメで描かれる事が喜ばしい。

 

『保健室のアン・ウニュン先生』チョン・セラン

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 目に見えない色々なモノが集まってしまう私立M高校で養護教諭として働くウニョン。ひと知れず、怪奇現象や不可解なモノと対峙する。

怪奇現象というと、ついついホラー的な怖いものを想像してしまうけど、文体や描写から軽快さが出ていて、深刻さがなく可愛らしさすら感じられる。ウニョンも漢文の先生インピョも完璧じゃない性格に人間味を感じる。けれど、未来ある若者達の平穏と安全を守ろうと奮闘する姿は大人として正しい。

 

『我々はみな、孤独である』貴志祐介

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 ミステリー、SFなど幅広く手掛ける貴志祐介の7年ぶりの長編小説。

探偵・茶畑徹朗の元に舞い込んだ、「前世で自分を殺した犯人を探して欲しい」という依頼。調査を進めるにつれて、茶畑自身にも前世の記憶が蘇り始める。

正直、事件の結末が荒唐無稽すぎて読み終わった後にとても戸惑った。登場人物もヤクザにメキシコの麻薬カルテルとかなりバラエティーに富んでおり、驚くばかり。

しかし、その荒唐無稽なバラエティーに飛んだ内容を一つにまとめ、「一体どうなるんだ?」と結末が知りたくなってしまう文章力はさすがプロの小説家。

ちなみに、この本を読んでいた間は、夜寝るたびに変な夢を見る事が多かった。

 

『マイ・シスター、シリアルキラー』オインカン・ブレスウェイト

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 舞台はナイジェリアの都市、ラゴス。看護師のコレデには美人な妹、アヨオラがいる。美人で快活、誰にでも好かれるアヨオラは何故か付き合った相手を必ず殺してしまう。コレデはアヨオラを守るため殺人の隠蔽工作をする。

 とにかく、読んでいるとコレデ苦労してんな〜〜という労いの気持ちになってくる。だって、看護師の仕事を真面目に頑張ってて、妹からは「ねぇ、コレデ殺しちゃった」と電話がかかってきちゃうんだよ。

その上、お母さんからとかは「あなたは姉なんだから妹の世話をするのは当たり前」みたいなこと言われるし。大変だなぁ。

私も姉妹だけど、妹だからもしかしてうちの姉もこういう気持ちだったのかなぁ。高校生の頃、姉が泣きながら母親に「あいつ(私)は妹だから甘やかされててずるい!」と泣きついていたのを思い出した。

でも、アヨオラが彼氏を殺してコレデを困らせるような子でもなんか憎めない。

アヨオラが付き合った人を殺してしまうのは、姉妹の父親との関係に起因するもので、そこには家父長制によるしがらみが関わってたりする。そう思うと、アヨオラは加害者なんだけど、被害者でもあるんだよね。

 

『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』宮澤伊織

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 SF百合小説として名高いシリーズの第一巻目。裏側という特殊な世界で、女子大生・紙越空魚は仁科鳥子と出会う。

裏側の世界には、ネットで有名な怪談に出てくる危険な存在たちが出現する。「くねくね」や「きさらぎ駅」など私でも知っているような有名な怪談から、「須磨海岸にて」などネットをしている人しか知らないような怪談まで出てくる。

最近、SF×百合がちょっとしたブームだけど、そのジャンルの先駆けともいえる作品。(伊藤計劃の『ハーモニー』とかもあるけど)

SFとして裏世界が単純に面白いのと、ちゃんと「百合」として確立されているところがいい。単純なキャラ萌えラノベじゃなくて、空魚と鳥子の感情のやりとりがちゃんとしてて百合の質も高い。というわけで、現在3巻まで読み進めていたりする。