夢だけじゃ 夢だけが

恋することが世界の平和♡

6月に読んだ本

 生まれてこの方、今まで漫画や本は(ほぼ)全て紙の媒体で読んできた。デジタル化の時代となって久しいが、デジタルでは手に入らないものこそ、手に入れるための代償と価値が高くなった。と、無駄に仰々しく語っているが、Kindleタブレットを買いました。

ページを捲る感触、紙の独特な匂いなど、紙で読む意義を紙の本に見出してきた。

だけど、ついに自分のこだわりは負けてしまった。

狭い日本の住宅では本や漫画を置く場所、適切な保管方法にはどうしても限界がある。それでも、定期的に読まなくなった漫画を捨てたり整理しながらスペースを確保してきたが、それもすぐに埋まってしまう。こうして自分は「本は紙で読んでこそ同盟」から離反する事となった。

といっても、「じゃあ今後一切、紙の本買うのはやめる!」とはいかないので(オタクはコレクションが大好き)自分の中で手元に残したい漫画家の作品は紙で買うことにした。

ちなみに、漫画はデジタルで読むことができるけど、本は紙でないと読めないタチなので紙で買う事を継続している。

(なお、7月13日現在、デジタルで買った本をKindleでスラスラ読んでいる自分がいる。買って良かったKindle Paper white)

 

◾️『まとまらない言葉を生きる』著:荒井裕樹

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 「言葉」って嘘くさいなって思う。例えば、「死ぬこと以外、かすり傷」っていうけど、そのかすり傷が沢山集まったら?かすり傷で死んじゃう人間って多分いるよ、って思っちゃう。(大森靖子ちゃんの「KEKKON」の歌詞を読んで)

これはあくまで一つの例だけど、なんていうか「綺麗にまとまった分かりやすいキャッチーな言葉」の暴力性が怖い。その言葉に当てはまれなかったら、とても辛いし孤独だから。

 この本は文学者で「被抑圧者の自己表現活動」を専門とする作者のエッセイ。「被抑圧者の自己表現活動」は、簡単にいうといじめられたり、差別されたり、不当な冷遇にいる人達が自分のことをどう表現するのかということを研究することらしい。

だから全てのエッセイに、精神病や水俣病ハンセン病、ALSなどの病気と共に生きてきた人、障害者、女性など立場は違えど被抑圧者となってきた人たちが出てくる。作者は、研究の中で多くの被抑圧者に関わってきた。

この本が伝えるのは「綺麗にまとまった分かりやすいキャッチーな言葉」では表現できない生きている重みのある言葉たちだ。

 正直、本の帯の言葉が琴線に触れたなら絶対読んでほしい。私のちっぽけな感想なんかでは表現出来ない事が沢山書かれているから。

 

第二話「励ますことを諦めない」では東日本大地震でみんなが「誰かを励ます言葉」を模索していたことに触れる。「がんばれ」でも「大丈夫」も通用しなかった災害で痛感したのは、「みんな」に通用する励ましの言葉はないということ。言葉の無力さとも言えるかもしれない。だけど、「ない言葉」を模索することを諦めてはいけない。誰にだって、「言葉で誰かを励ます」場面は不意にやってくるから。

 

それと、福祉に携わる人間として、第十二話の「生きた心地が削られる」には触れておきたい。作者が障害者活動家・花田春兆さんの私設秘書をしていた時に言われた「刻まれたおでんは、おでんじゃないよな」という言葉。

介護看護に関わる人なら、痛いほど分かる。人間は高齢になると、食べ物を飲み込む力が弱まる。歯も抜けるし、入れ歯になる人もいる。

そうした噛む力も飲み込む力も低下した人には、介護施設ではお粥を出したりおかずを全て刻んで食事を提供する。「刻まれたおでん」とは、花田さんが実際に特養で出された「おでん」のことだ。ちなみに、花田さんはこの時80歳を過ぎていたがアナゴの天ぷらをバリバリ食べてしまう人だったそう。

 

施設で働く人間としては、刻んだりミキサーにかけて柔らかくしないと食事が出来ない人がいることも理解している。安全のために細心の注意を払って食事を出していることも分かっている。

だけど、仕事で時々「ビールが飲みたい」とか「お寿司が食べたい」とか、「ご飯が不味い」と言われると一体何のための食事なんだろうと思う。

誰かの「生きた心地」を奪っていたり与えられなかったりすると、とても無力に感じる。

今はこの食事の話については、きっと色んな人がそれぞれの場所で工夫したり、出来る限り食事で「生きた心地」を感じられるように試行錯誤していると思う。

 たかが「刻まれたおでん」だけど、そこに抗わなかったら、きっとおでんに続く何かがおざなりにされていくと思う。

「生きた心地」を削られないために、抗う事を忘れないでいきたい。そして、誰かが「生きた心地」が奪われないために発した抗う言葉に耳を傾けていきたい。