夢だけじゃ 夢だけが

恋することが世界の平和♡

ネタバレを含む『図書館戦争 THE LAST MISSION』の話。

 ディストピア小説が好きだ。というか「ディストピア」という言葉が付けばアニメでも漫画でも映画でもいい。最近読んだ漫画に出てきたキャラクターが「SF語るなら最低1000冊(読め)」と言っていたのだが、それくらいのレベルでSFというジャンルは難しい。それでもディストピア小説は読んでいると「うわぁ~~~」と唸りたくなるくらいむずむずする。多分このむずむずはディストピアという世界観に反論したくて、何故この世界の人たちはこの世界に疑問を持たないのだろうと声をあげたくなる気持ちなのだと思う。また、このジャンルは単純な風刺や政治的な問題を比喩するだけでなく、主人公を通して「人間とは」といった根本的なことまで問いかけてくる。そのためか対義語であるはずの「ユートピア」という言葉にすら懐疑性を抱かされる。だからこそ、それほどまでの世界でなんとか抗い生きる主人公たちのことは全力で応援をしたくなる。『図書館戦争』が好きなのもそんな理由からなのかもしれない。

 

 

 今作のTHE  LAST MISSIONは前作の続きとして製作された。私は映画の売り上げやシステムに詳しいわけではないが、お世辞にも前作の売り上げは確実に続きが作れると言えるものではなかったそうだ。それでもスタッフの人たちは映画の続きがやりたいという気持ちをこめて前作のサブタイトルを「Library wars」とした。だから、この2作目は前作の中で抱かれたであろう疑問、図書隊というものの存在意義や、本とは守るに値するものなのかという内容を中心としたのだと思った。ディストピアといっても『図書館戦争』シリーズは恋愛要素が強いのであまり絶望感は感じない。

 

正直この作品がどれほど好きで、本や漫画が好きでも武力抗争というやり方が正しいのかは私にはわからない。前作の映画の感想を見ていて、「本を守りたいならば言葉でやり返すなどすればいいのに、銃火器を使う理由がわからない」という意見を目にした。確かに、血を流してまで戦う意味や、やり方の乱暴さみたいなものがあるのかもしれない。でも、言葉という物の無力さを一番知っているからこそ図書隊があるのだと思っている。人間の良心や道徳心をいくら日本人が持っていたとしてもそれだけではどうにもならないことがある。

しかしだからといって、いくら良化隊を傷つける意図はなくても戦闘の中で傷つく者はいる。映画にも出てきたが良化隊員にだって守る人はいる。結局なにが正しいのか何がより良いやり方なのか、受け取る側次第なのだ。だから、この作品は面白いし表現の自由というもののあり方、危うさを考えてしまう。

 

 もちろん私は本や漫画が好きなので表現の自由が規制されては困る。映画の中だと本を取り締まるシーンしかクローズアップされていないが、原作を読み進めると言語統制が思っているより進んでいる。例えば「ホームレス」という言葉は「自営巡回ゴミ漁り」だったり、学校にある特別学級(今は現実でもあまり特別学級とも使われないらしいが)は「ひまわり学級が!」と表現される。これらの表現を読むと「使うもの」ではなくて「その言葉で何を表現するのか」という点に何が存在するのかということが大切なのだと痛感する。「その人のためを思って」という言葉を免罪符にして、悪口をいうみたいなものだろうか。図書館戦争を読んだり観たりしただけでは、現代の表現の自由というものを充分に感じることは出来ないかもしれないが、つくづくそんな世界にはなってほしくないものだ。

 

それと、今作は恋愛要素が少ない。しかし、真っ暗な館内で窓から見える閃光手榴弾の光に堂上と郁が想いを馳せるシーンは一瞬時が止まったかのような美しさがあった。また二人のキスシーンなど場面数としては少ないが一つ一つしっかりと描かれている。『図書館戦争』シリーズの魅力は若い人や普段本を読まないような人にも親しみやすい恋愛要素が人気の理由の一つなのでやはり外せない。私もあの世界観にほれ込みつつも、堂上の同僚でタッグを組む小牧に心奪われた。それでも恋愛要素に感動させられるからこそ、戦いと彼らの生活が同等に描かれることの意味を考えてしまう。少し前にとある戦争記を読んだが、誰もが戦時中だからと言って戦争の無意味さに疑問を抱かなかったかというとそうでもなければ、皆が皆バケツリレーに協力していたかというわけでもなかったということを知った。現実に起こった戦争と創作の中で起こった戦争とを同等に考えるつもりはないが、非日常の中で日常を営んでいるのではなく、日常の中で「争い」という非日常が起こっていしまうということを知っていなければならないのかもしれない。

 

余談だが、初めてキスシーンを観た時「なぜキス?!」と笑ってしまったが、冷静になってみればあんなイケメン(岡田君)の顔が目の前にあって、あんないい(?)雰囲気ならキスもしたくなるか!と納得した。なんでもかんでも恋愛感情に繋げる邦画を観ると飽き飽きするがイケメンだとそれが許せてしまうのだから「イケメンは正義」という言葉もあながち嘘ではないのかもしれない。岡田君も田中君もめちゃくちゃかっこよかったが、手塚慧役の松坂君のちょっとSっ気のある役どころはなかなかのものだった。

 

それと、映画のインタビューだったか監督か脚本家の方が「この映画は閃光手榴弾だ!」と言っていた理由が最後まで観るとよくわかり伏線を埋めることの才能を感じた。またその伏線が綺麗に回収されそのことに気づいた瞬間に映画の魅力を改めて実感することが出来た。今作の副題は「LAST MISSION」だが、このキャストスタッフで別冊まで続けてほしいくらいだ。

 

 そしてここの所岡田君が過去に出演した映画やドラマを観て、昔の若いころの岡田君の魅力にドキドキしていた。20代そこそこで出演したドラマなどで時折見せる、「世界中の自分以外すべて敵」かのように睨みつける目に陶酔した。それから10年経ってもうその頃独特の目を見ることは出来ないのかと少しばかり残念に思ったが、今は真っ直ぐに敵を見据え大切な人を守るという使命を背負った堂上という役柄から、岡田准一という人間の強さを受け取ることが出来てうれしく思っている。

 

 

読書の秋と共に、好きな本を読むことが自由に出来る時代に感謝をしながら私はまた映画館に行く。