夢だけじゃ 夢だけが

恋することが世界の平和♡

踏み絵を踏む話。

 例えばどんなアーティストでもいいが、一人好きなアーティストが出来たとする。その時そのアーティストの過去とどう向き合うか、というのは当然人それぞれだと思う。それは古株や古参と呼ばれる人たちとの関わり方という点だけでなく、そのアーティストがどのような音楽をやっていてどんなことを思っていたかという点も含まれる。私が思うにどのようなジャンルであれ、オタク性が強ければ強いほどその事に対する問題のようなものに悩まされることが多いのだろうと感じる。事実、私はあゆのファンをやっていて過去との確執みたいなものはほとんど感じたことがなかったが、嵐のファンをやっているととても重荷になってしまっていた。先ほども言ったが、結局のところそういう事はそれぞれ自分なりの折り合いの付け方みたいなものがあって取捨選択すればいい。

でもその人のルーツや過去を知ることって案外悪いことなんかじゃないのだとも思う。

 

 

 

  今年、2015年9月2日に田村ゆかりが『Early Years collection』という一枚のアルバムをリリースした。

しかしリリースした、と言っても現在彼女がCDを出しているのはキングレコード。このアルバムはユニヴァーサルミュージックからの発売だった。実はこのCD、1997年から1999年にユニヴァーサルミュージック(当時はポリグラム)にて発売した楽曲をコンパイルした企画アルバムだった。当時発売されたミニアルバムは現在廃盤。当時放映されていたアニメ作品のサウンドトラックCDに収録された楽曲なども含まれているため、アルバムに収録されている音源を全て集めるとしたら中古で18万円ほどかかるらしい。

通常普通のアーティストならば、このような企画アルバムは喜ばれるのかもしれない。高額をかけて集めなければ聴くことが出来なかった楽曲を約3000円で聴けることが出来るのだから。

 でも、このアルバムに対する宣伝は一切なく、ファンからのこのアルバムに対するレスポンスもさまざまだった。何故なら、彼女がキングレコードにてCDをリリースする以前の楽曲はなかったことにされてる部分があるからだ。勿論、その当時から彼女を応援しているファンも当然いると思うので簡単になかったことにしてしまうということはよくないとは重々承知している。しかも近年ファンになった人でもその当時の楽曲が好きな人がいるとも思う。でも私は2013年に彼女のファンになった時キングレコードからデビューする以前の楽曲については無視していた。言い訳がましいが、それは彼女の歴史は簡単に遡ることが出来ないということ、当時のアニメ事情なんてまったく分からない、と言った理由からだ。しかもアニメを観る習慣はあるがアニソンを日常的に聴くかと言われるとそうでもない。更に当時の楽曲はキャラソンとして歌ったものもあるため、そうなると彼女の楽曲といってもよいのかボーダーラインがあいまいなのだ。キャラソンは歌っているのが本人でも名義はキャラクター名で発売される。そのため本人の楽曲として扱われないのが一般的だ。

 しかも、今回このアルバムがリリースされるにあたって公式サイトはもちろん、ゆかりん*1本人のツイッタ―でもこのアルバムについて一切触れられていない。彼女のレギュラー番組のラジオでも一切の宣伝がされなかった。そのため私はこのCDの存在もアニメ商品専門店の店頭に置かれるまで全く知らなかった。おそらく、リリースするレーベルが他社なことが理由なのだろうがそれにしても徹底ぶりには驚いた。もちろんCDのジャケット写真、歌詞カードにはゆかりん本人の写真は一切掲載されていない。

 そのようなリリースのされ方の中、ファンからも否定的な意見も見受けられた。宣伝等がされない発売にレーベルとしての裏事情が垣間見えてしまったり、レーベルが違うため彼女自身にこのCDを発売するにあたっての印税はおそらく入らない。そんな意見があった。

 

 でも、そもそもキャラソンというのは基本的に買い取り制だ。歌った本人ではなく依頼した会社側に権利がある。それは現在も変わらず続いている制度だ。だからいくら本人が歌った物でもキャラソンである以上どれだけ売れていても本人には利益が発生しない。それは過去だろうと昔だろうと関係はない。それでも、ゆかりんはライブでたびたび自分の楽曲に混ぜながらキャラソンを歌う。それはたとえ自分のものでないとしても役者としてその楽曲を愛してるからなのではないか。

もちろんアルバムの中にはキャラソンだけではない。田村ゆかりとしてリリースしたものもある。というか正直本人名義の楽曲のほうが多い。それでも、このまま昔の楽曲を無視したままなんてすごくさみしいと思った。

 

しかも、今年の上旬に発売された「エキセントリック・ラヴァー」という楽曲や開催されたライブの挨拶の内容から少し、「ゆかりん」というアイドルが揺らいでいるようにも感じ取れる。そしてそんなことを、このアルバムのライナーノーツを執筆した元リスアニ!編集長の西原史顕さんも指摘している。

 

もしかすると今、選択を迫られているのかもしれないと。

 

 

 西原さんはライナーノーツの中でこのアルバムを「踏み絵」と言っている。それぞれ折り合いをつけてきた過去にもう一度向き合ってみるのはどうだろうという提案だ。特に若いファンは。踏み絵は犯人捜しみたいで印象は悪いかもしれない。でも、実際に踏み絵がなされた時代ではだんだんと信仰心をもっていれば踏み絵を踏んでもよいという理由から次第に犯人捜しのような効果はなくなったそうだ。踏み絵を踏む踏まないは自由だが、私は今この踏み絵を踏むべきだと思っている。否、踏みたいと思っている。

 

 CDの発売やレーベル的なこと、いろいろ妥協できないこと理解できないことあると思うが一度西原さんが執筆したライナーノーツを読んでもらいたい。内容に共感できないかもしれない、ゆかりんのCDなのにゆかりんの写真がないことにムカつくかもしれない。けれど、西原さんが書いたライナーノーツに救われた楽曲があるということもまた事実で感謝をしなければならないと思う。そしてこれからもアイドルとしてでいい、世界一可愛いお姫さまてでいい。でも、一度だけ彼女のルーツ、過去を知って田村ゆかりという人間をアーティストとして観てみるのはどうだろうか。

*1:田村ゆかりの愛称